はじめに
「人の移動は新たな境界を創り出す。集団と文化という境界をである。移動によって現実となった異種なるものとの遭遇とそれに続く相互作用において新しい「自己」新しい「他者」の生成が始まる」(竹沢、1996)
竹沢氏は述べているように移動によって人と人の間には新しい境界が出現する。また、他者との関係によって新しい自己を見つけ出すことができる。しかし竹沢氏が指摘しているもの(境界)は移動してきた者(移民)とそのホスト社会の住民のみとの間に生じた関係である。言い換えれば、移民と受入国の国民との「遭遇」により新しく生み出された自己意識と他者意識の形成過程に限定されている。しかしながら、現在の世界の受入国である先進国に移民してくる人々は一定の国籍のものだけではなく多国籍であることは事実である。特に日本の場合では、90年代初頭より現在に至るまで、出身国がばらばらであるニューカマーと呼ばれる新しい移民が大量に来日している。彼らは仕事を求めて、日本の産業地域付近に集中して住んでいる。日本人の一般市民から見ると、ニューカマーはただの移民で外国人であり、移民の出身国によって、様々な文化や生活様式の違いがあるのにもかかわらず、彼らを一つにまとめて考えることが多い。特に中南米からデカセギとして来日してきた日系人に関しては、この現象は顕著である。同じラテンアメリカ日系人として見られ、それほど暮らしや生活には大きな違いがないと見なされてしまう。しかし、同じ日系人(ラテンアメリカ人)であっても育った国や社会が違えればそれだけの生活様式や自己意識が変わってくる。それゆえに、お互いを見る目も違ってくるであろう。
出身国の違う移民同士は新しい国において、お互いをどう意識しているかというテーマについての文化人類学の視点からの研究はそれほどなされていない。簡単に言えば、現在の移民学の主な研究テーマはホスト社会への文化適応過程、生活様式の変化、家族関係の変化、ジェンダー論、教育問題などであるが、移民同士の人間関係とその中で生じた問題についてはあまり触れていない。
本発表においては在日ラテンアメリカ人の中からペルー人のケースを取り上げて、彼らはもっとも人数の多い移民であるブラジル人をどのように認識しているのか、またどのような境界線を引いているのかについて考える。まず、これをよりよく理解するために両者の歴史的背景を説明する必要がある。
歴史背景
ブラジルとペルーからの日本への最初の移民(デカセギ)は80年代半ばまでさかのぼる。いつから始まった現象であるのかは正確に不明であるが、ブラジル人のケースでは多くの説が挙げられて、殆どの研究者はその第一回移民の波は80年代初頭に始まったという(田島、2003)。最初の移民たちの多くは一世で構成されていて、その来日目的は経済的なものであった。一方で、ペルー人移民の最初の来日は、ブラジル人より少し後になった。Del Castillo氏によると、1986年に最初のペルー出身デカセギが来日したそうである。
在日ラテンアメリカ人[1]の大半をブラジル人とペルー人が占めている。そして、この2カ国の移民数が増加するにつれて、それぞれのコミュニティが出来上がっていった。この2つのコミュニティの間に、いくつかの関係が成り立っている。ブラジル人のいるところには、必ず言ってよいほどペルー人がいる。ペルー人は、ブラジル人のエスニック料理店や雑貨店を利用する度合いが高い。そういう店を利用することや同じ職場で仕事をするためにポルトガル語を身に付け、また、ペルー人2世の子供たちもスペイン語と日本語の他にポルトガル語を自然と身に付けている。ブラジル人とペルー人が始めて接触した場所は明らかではないが、恐らく移民数の多い神奈川県・愛知県・静岡県・群馬県のどれかである。
下のグラフからわかるように、移民の当初からブラジル人とペルー人には移民数の格差があり、5人のブラジル人に対し1人のペルー人という割合である。要するにブラジル人移民数はペルー人の5倍に相当する。この圧倒的な違いは、ペルー人に大きな影響を与えている。ペルー人は、日本社会のマイノリティの中の移民社会のマイノリティであるから日本社会からの影響だけではなく、マイノリティのマジョリティであるブラジル人からも直接に大きな影響を受けている。上記に述べたように本論では、この2つのグループがどう関係しているのか、また、特にペルー人側から見たブラジル人に対する様々なイメージや人間関係について調べ分析していく。
在日ブラジル人・ペルー人の人口推移
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国/年
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1986
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1987
|
1988
|
1989
|
1990
|
1991
|
1992
|
1993
|
1994
|
|
ブラジル
|
2,132
|
2,250
|
4,159
|
14,528
|
56,429
|
119,333
|
147,803
|
154,650
|
159,619
|
|
ペルー
|
553
|
615
|
864
|
4,121
|
10,279
|
26,281
|
31,051
|
33,169
|
35,382
|
|
国/年
|
1995
|
1996
|
1997
|
1998
|
1999
|
2000
|
2001
|
2002
|
|
ブラジル
|
176,440
|
201,795
|
233,254
|
222,217
|
224,299
|
254,394
|
265,962
|
268,332
|
|
ペルー
|
36,269
|
37,099
|
40,394
|
41,317
|
42,773
|
46,773
|
50,052
|
51,772
|
交友関係により創り上げたブラジル性・ブラジル人像
在日ペルー人が生み出したブラジル性・ブラジル人像を説明する前に、移民社会の中においてペルー人とブラジル人で構成されるグループ内で見られる他者意識に基づいてタイプを分類してみると、おそらく以下の四つのタイプに分けることができると考えられる。
1.ペルー人とブラジル人の人間関係(ペルー人の立場から)
2.ペルー人とペルー人の人間関係 3.ブラジル人とブラジル人の人間関係
4.ブラジル人とペルー人の人間関係(ブラジル人の立場から)
本論の研究テーマは1であるが2に関しては調査も行っております。3と4については、著者は当事者ではないために思うように調査ができなかった。これに関して、結論においてまた述べることにする。さて、具体的に今までの調査の結果を見てみよう。
ペルー人とブラジル人の人間関係を知るために、70人近くのペルー人にインタビューやアンケートを行った。その結果、ペルー人の多くは、基本的に会社の同僚であるか家の近所の人々と交友関係を持つことがわかった。就いている仕事や労働時間によって、新しい交友関係を築くことができるかできないかを左右するようだ。職場は在日ペルー人にとって、ブラジル人と日本人との「コンタクト・ゾーン」になっている。Pratt(1986)[2]によればこのコンタクト・ゾーンというものは、地理・歴史的な理由で、以前まったく会う可能性のなかった者が交差する場所を指し、そこでお互いを知り、影響し合い、新しい人間関係を形成していく。多くのペルー人は、仕事先においてブラジル人に対して最初の印象を受け、個人によっていくつかの複雑で程度の違うブラジル文化概念を構想・具体化させる。要するに、ブラジル文化及びブラジル性というものを構築(Construct)する。また、このブラジル性は場所や人の見方によって変化する。なぜ変化するのかというと、このブラジル性はブラジル人の全てを描写しているわけではないからである。むろん、誰もが、ブラジル性の全てを知ることは難しい。ここで大事なのは、特に限定された範囲内でのブラジル人との遭遇によって作り上げられたペルー人にとって「都合のいいブラジル人像」であるということだ。この現象はインタビューの結果[3]を見てみるとよく分かる。
インタビューの結果から得た一つには、ペルー人が勤めているところには、かなりの人数のブラジル人がいることだ。ブラジル人は、ペルー人より日本語を理解している場合が多いので、職場内での地位がペルー人より高い傾向にある。移民当初は、日本語能力によって賃金に差があった。具体的な例を挙げると、1,992年頃に茨城県のある会社の時給が、ブラジル人1,500円に対しペルー人は1,100から1,200円までであった。こういうケースは他の地域でも見られた。この違いは、両者の間に大きな溝を作り、その結果「都合のいいブラジル人像」ができあがってしまった。賃金の差が殆どなくなった現在でも、一部のペルー人はブラジル人に対して以前に持っていた悪い感情を捨て切れないでいる。ブラジル人からいじめを受けているというペルー人もいた。下には、これに関する証言をいくつか取り上げる。
「初めて仕事へ行ったときに、そこにいるブラジル人やみんなと友達になれると思っていた。それは、みんなラテンアメリカ人であってお互いに助け合うことができると思っていたからだ。でも、初日からブラジル人の班長から侮辱を受け、ばかにされていた。日本人から班長を通じて仕事を頼まれたが、班長は日本人が言ったものとは違う命令を与えて、日本人から指摘されてしまった。日本語がわからなかったので、悪いのは自分ではなく班長だと日本人に反論できなかった。」(男性日系3世、29歳)
「岩倉で仕事をしていた会社では、ブラジル人の女性がたくさんいた。よくわからないけれど、最初の頃から、その多くの人たちは私のことを気に入らなかったらしい。ただ、2人のブラジル人女性の友達ができた。でも、残りの人たちは、どうしてかわからないけれど、いじめて泣かされた。それで、仕事を辞めることになった。」(女性日系3世、32歳)
職場内で、ブラジル人とペルー人の間にいくつかの問題が発生しているようで、その多くは日本語能力の違いによって生じている。日本語能力の差の一つの原因は、戦後、ブラジルの日系社会とは違いペルーの日系社会では、日本語の教育がそれほど重要でなくなったからである。また、戦後、日本からブラジルへの移民と比べれば、日本からペルーへの移民は、ほとんどなかったからである。職場においては日本語能力により一つの権力関係が出現していると言える。日本語ができればできるほどいい仕事に就くことができる。例えば、通訳として雇われる側から雇う側に移り、職場内で出世をして階層を上ることができ、普通のデカセギより体力的に楽で責任のある仕事を任される。この立場になったデカセギは、デカセギであるという意識はなくなり、かつて自分と同じ立場であったデカセギたちとは違う意識が芽生えるため、自然に一つの境界線が引かれる傾向がある。ペルー人からは、通訳の仕事をしているブラジル人はうぬぼれやで嘘つきで自分の利益しか考えてない人であると見なされる。もっとも、この通訳の中でもいい人もいるそうだ。彼らは普通のブラジル人の通訳と違って、Parecen Peruanos と呼ばれる(ペルー人のような人で、ペルー人のことがよく分かる)。このラベリングは通訳以外の他のブラジル人にも付けられることがあるが、これに関しては後述する。
また、ブラジル人と一緒に仕事をすれば必ずなんらかの問題に巻き込まれるのではないかという恐れがペルー人の間で非常に広がっていることが分かった。そのため、ブラジル人に対して警戒心が生まれ、職場ではできるだけペルー人かスペイン語圏の人だけで固まる傾向がある。言い方が適切かどうかはわからないが、職場内でペルー人の中にはある人種(国籍)的空間論理(Logic Of Spaces Racialized(Nacionalized))が出来上がっていると言えるであろう。要するに、空間的に場所的に境界線を引くことである。自分は自分が他者から与えられた場所だけで行動すれば、日本人はもちろんのこと、他の外国籍のデカセギとのトラブルを避けることができるようだ。
性意識
上記の職場内人種的空間論理以外にも在日ペルー人はブラジル人について様々なイメージやかかわり方を持っている。特に、両者の性意識の違いに対していくつかの論説を出している。その中で、ペルー人女性は、ブラジル人女性に対してライバル意識を持っているようである。それは、特に未婚の恋愛において多く、ペルー人男性を取り巻くブラジル人女性は、移民数が多いことから必然的に多くなり、ペルー人女性たちは、この状況に焼きもちを焼くわけである。またライバル意識の原因と考えられるのは、ブラジル人の解放的な性意識である。これは、ペルー人の保守的な考え方と、衝突を避けることは免れない。
「ブラジル人にとって、セックスは大事だ。ペルー人にとって、家族が大事だ。もし、一人のブラジル人は誰かと付き合っているのならば、それは遊ぶためである。ペルー人は、もっと真剣でまじめに考える。ブラジル人は、ペルー人と比べれば、かなり解放的である。もちろん、女性もそうである。」(女性日系3世、33歳)
「ブラジルの女性は、私たちより自信を持っている。自分たちがセクシーであることを意識している。それは、外見を見てすぐにわかる。」(女性日系2世、34歳)
「ブラジル人女性の服のセンスを見なさい。男を寄せつけるために何でもやっている。なんか、ブラジル人男性の数が足りないようだ。」(女性日系3世、23歳)
「ブラジル人女性は、いつも太ももまで足を見せるのよ。だから気に入らない。いつも牙や爪を出して獲物を狙っているみたい。」(女性非日系人、40代)
「ブラジル人女性は、偽善者で悪人ばっかり。仕事では、私をみじめな目に合わせている。」(女性日系3世、21歳)
上の証言から分かるように情報提供者及びペルー人は解放的な性行為に対して厳しく見ているようだ。これはラテンアメリカ文化、特にスペイン語圏の国々に存在するセックスのダブル・スタンダードに直接関係している。このスタンダードでは男性は自由に女性と関係を持つことが許されているが、女性は結婚するまで処女でなければいけないという標準である。その性行為の有無によりすべての女性は以下のように分類されてしまう。
この分類ではブラジル人の解放的行為はペルー人女性からみると目に余るものがあるが、ペルー人男性の一部から見たらそうではないようだ。インタビューによれば、これを利用して楽しんでいる若いペルー人男性は何人かいた。
「仕事終わった後に・・・土曜日の夜はいつも3人の男友達と一緒にブラジル人のディスコへ行って踊りまくる。そこに行くとすごいテンションがあがる。でもそれよりそこに通っている女の人はすごい。ちょっとお酒が入ると殆どなんでも有りという感じ、最初はちょっと抵抗あったが今はもう病みつきになっている」(男性日系3世20代)
「ブラジル人女性はFuego(火)だ。今まで、豊橋にあるP.Oという店に何回行ったことがある、今まで一人で一度も帰ったことがない。多少悪いことをやっているという感じがするが、若いうちにやることをやらないと後で後悔するかも」(男性日系3世24歳)
この若いペルー人は楽しそうに著者に自分たちの経験を話してくれた。彼らに聞くと仕事の昼時間に他のデカセギとブラジル女性の噂話をすることが多い。この噂をすることによってブラジル人女性のこの評判が、事実であるか否かにもかかわらず広がっていく。このマイナスイメージを構成することによって、ペルー人男性移民は自分の国の女性像を再構築しているようにも思われる。というのは、ペルー人女性はブラジル女性と同じ振る舞いは決してしないと認識されているようにみえる。遊ぶのなら外のもの[4]、真剣に付き合うのなら内のものという二重性に生きている。
ペルー人から見たブラジル人の教育レベルに対する偏見
サンプルの一部は、ペルーで高度教育を受けて大学卒と大学中退[5]の人が多かった。サンプルは、自分たちはペルーで高度で良い教育を受けてきたことで、日本での仕事をする上で役に立ったと思っている。ブラジル人との交流の中で、いろいろな学歴のブラジル人たちと接触したために、彼らの教育を見下しているような考え方が出来上がってしまった。
「...ブラジル人は、書くことしかできない。しかも、その書き方は...、エジプトの象形(しょうけい)文字(もじ)みたい。そうでしょ?彼らは、足し算・掛け算・割り算でさえできない。4桁の割り算でさえすぐにできない。1,000で掛け算をして下さいと頼むことがあるけど...、ブラジル人の答えが、オー・マイ・ゴットだった。」(男性日系3世、36歳)
「ブラジル人は馬鹿だ。僕らとは考え方が違う。彼らは本当にまぬけだ。それは、給料日のときに、みんな一斉に銀行へ行って入っていた給料を全部下ろしてしまう。なぜかと聞くと、銀行を信用していなからだと言っていた。」(女性日系3世、21歳)
ブラジル人の子供たちの教育について
サンプルの多くは、ブラジル人の子供たちは両親に捨てられていると思い込んでいる。その理由はわからない。ペルー人に最も衝撃を受けているのは、ドラッグとたばことアルコールを使っているブラジル人の子供たちや、バイクに乗って暴走族に加わっているブラジル人の子供たちの姿である。
「私の子供には、前にブラジル人の友達がいた。幼い時から一緒に遊んでいた。でも、中学校に入ると彼はたばこを吸い始めた。私は、どうしてそうなったのか理解できなかった。うちの子供は、自分の友達がかなり変わって、前のような感じでなくなったことに驚いた。」(男性非日系人、47歳)
「いつもブラジル料理店の前を通ると、店の前に何もしないで群がっているブラジル人の子供たちを見かける。いったい、彼らの親は何をしているのだろうかと思う。日本にお金を得るために来たのはよいが、お金より子供の方が大事だと私は思う。」(女性日系2世、52歳)
「日本には、40校のブラジル人学校がある。私たちには2校しかない。私たちは5万人で、彼らは私たちの5倍の25万人である。言い換えれば、計算上で1校のブラジル人学校には6250人のブラジル人が当てはまる。ペルー人だと1校に2万5千人が当てはまる。これだと、教育の危機[6]に直面しているのは私たちのはずで彼らではないが、その逆であるみたいに思える。全ては親たちの責任である。」(男性非日系人、40歳)
ペルー人の子供たちもブラジル人の子供たち同様で、教育上の問題をいくつか抱えている。具体的には、日本語の授業についていけない、外国人という理由でいじめられる、自国の言葉も忘れてしまうなどが挙げられる。しかし、詳細な問題については、ペルー人はブラジル人が持っている問題ほど危機的ではない。ペルー人は数学の苦手な子供が多いというようなことで、ブラジル人は非行に走る子供が多[7]いというような度合いの差がある。
よいブラジル人また「Parecen Peruanos 」のブラジル人について
上記の通訳の項目で少し触れたが、ペルー人にとって「よいブラジル人」というグループも存在する。彼らは他のブラジル人とは違ってペルー人と仲良くしようと交流の場を設ける。彼らもまたスペイン語やペルーの文化に興味があって両者の架け橋役になっている。ペルー人から見たら、彼らは「Mas Peruanos Que Brasilenos」、ペルー人よりであるという意味である。ここで注目したいのは「Mas Peruanos]という言葉である。直訳すると「More Peruvians=ペルー性側」という意味合いになるが、逆に考えれば「Less Brazilians=減ブラジル性側」という意味に捉えることができる。これは、ペルー人にとって親しみを感じさせる他に、Brazilians にマイナスなイメージが明らかに入っているということが分かる。ペルー人に近ければ近い方がよりいいということである。
「会社にはいいブラジル人の友達がいて、いつもスペイン語で話そうとしてくれる。最初はこっちがポルトガル語で話そうとしたが、なかなかできなかったので彼女が私のためにポルトゥニョル語[8]で話してくれた。それから今までずっと友達のままでいる。彼女は今スペイン語がぺらぺらで、他のブラジル人とは違ってペルーのことにはかなり詳しい。」(女性日系3世 28歳)
このよいブラジル人はペルー人の仲間と認められて一緒に行動することが非常にある。彼らにはどうしてペルー人と付き合っているのかと聞いたところ、興味深い答えが返ってきた。このペルー人化されたブラジル人の話ではペルー人にはブラジル人にはない要素があるそうだ。それは、ペルー人は落ち着いているように見え、あまり派手ではない、物静かな感じがするようだ。この「暗い」イメージは普通の陽気ラテン系とは異なって、かえって魅力に感じることが多い。
ところが、逆の場合も多くあるらしい。つまり、ブラジル人化されたペルー人のケースである。このグループのペルー人は非常にブラジル文化に惹かれてポルトガル語をマスターしペルー人と交流するよりブラジル人と付き合った方が肌に合うという。この現象の出現として考えられる理由の一つには、歴史背景の章でも述べたように、ペルー人の子供たちは幼いころから多数派であるブラジル人の子供たちと一緒に育って、自然にポルトガル語とブラジル文化について学んでいることである。これに関して一つの例として挙げられるのはAxe Bahia というブラジル出身のバンドである。このAxe Bahiaを知らないペルー人の子供はいないほど、現代のブラジル音楽はペルー人の子供に大きな影響をあたえているということが分かる。
その他、日本人化したペルー人とブラジル人もいるが、彼らは本論文の研究テーマではないためここで説明することを遠慮する。ただ、彼らは他のデカセギから尊敬されながらも遠い存在に思われている。彼らについての研究は、今後の課題である。
ペルー人が考える"ブラジル人からみたペルー人"
ペルー人は、ペルーという国自体が主に経済や技術がブラジルよりも遅れていることでブラジル人が優越感を持っているように思っている。調査で得た証言の中から、次のようなペルー人が推測したブラジル人からみたペルー人のイメージや、直接にブラジル人から直接言われた誹謗(ひぼう)中傷(ちゅうしょう)の言葉を挙げる。
1、移民の中の黒人:一人のペルー人から得た証言で、ブラジル人から次のように言われた。「おまえらは、ブラジルのPretoと一緒だ。」ブラジルでは、Pretoとは黒人を示した差別用語である。
2、正規でない移民と思っている:90年代の初頭から正規でないペルー人移民が大量に入ってきたため、ブラジル人からペルー人に対するイメージが悪化し、ペルー人は日本にいるべきではないという考えが一般化してしまった。
3、インディオだと思っている:ペルーの総人口の40%は先住民で占められているので、日本に来ているペルー人もインディオであると思われている。ブラジル人の一部は、インディオに対して遅れているとか支配され言いなりになる民族であるというイメージが強く、ペルー人全体の気質もそうだと思い込んでいる。
「この腐ったインディオしかも不法のペルー人とどうしてかかわらなきゃいけないか。みんなは自分の国の山やジャングルに戻ればいいのに」ブラジルの友達を通じて得た証言。
4、日系人ではない:インタビューしたうちの数人は、特に日系ブラジル人一世から「君たちは、日系人じゃない。」と言われた。言われた側の人々は混血であったので、外見が日系人のように見えなかった。これが原因となり職場内で疎外された。
5、日本語が話せない:多くのブラジル人は、ペルー人よりも日本語が話せるので、ペルー人に対する態度が良くない。
6、高収入の仕事があっても安定を求めるために転職しない:ブラジル人は、よい給料の仕事があれば可能な限り転職する。ペルー人は、安定した職場を求める傾向がある。それで、ブラジル人に馬鹿にされることがある。
7、仕事のしすぎ・日本人の言いなり:証言した人々の大部分は、ブラジル人から「どうしてそんなに仕事をする必要があるのか。なぜそんなに日本人の言いなりになるのか。」と言われている。ペルー人は、できるだけ自分の職を失いたくないがために上司から指示されたとおりに仕事をする。これは、前の6と関係している。
結論
本論で取り上げた殆どの証言は、ネガティブは意味合いを持っている。このような証言があるのは、恐らくペルー人は、日本社会において、ダブルマイノリティであるからだ。一方で、完全に理解できない日本社会に適応しようとしながら、他方で、自分に近い文化を持っていると思っていたブラジルコミュニティを再認識する必要がある。本論では詳しく述べていないが、現実に、このブラジルコミュニティはペルーコミュニティとは異なる要素を持っている。また、ブラジル人に対してポジティブな証言がいくつかあったが本論では触れてはいない。それは、世界のどこの社会でも最初に広がるのは、ネガティブなイメージで及び偏見であることが殆どなので、そういった証言に重点を置きたかったのである。
ペルー人は、自分たちがよい移民であって、ブラジル人は悪い移民の鏡であるように位置づけている。そして、上にも述べてきたようにブラジル人と自分たちが異なっているということも、自分たちで移民社会の中で新しい社会的アイデンティティを作り上げようとする意思の現れである。こうしていく過程をたどりながら既存の移民社会でのブラジル人とペルー人との支配関係を壊しくつがえそうとしている。
今まで述べてきたように、ペルー人はブラジル人をラベル付けすることによって、今までブラジル人から受けている"支配"から逸脱することができ、また、在日ペルー人社会の安定に効果的である。このいくつかのラベルを次のようにまとめ、証言を元にペルー人からみたブラジル人のイメージや特徴を述べる。
- 1、性的ラベリング:性的に解放的であり肌の露出が激しい。付き合うのは遊ぶためだけである。
- 2、知能的ラベリング:簡単な計算ができない。日本の金融機関を信用しない。
- 3、家族関係ラベリング:自分たちの子供の面倒を見ないで、ほったらかし。子供よりお金の方が大事。
- 4、教育ラベリング:ブラジル人学校数が多いにもかかわらず、非行に走る子供が多い。ドラッグやアルコール、たばこに手を出す子供たちが多い。
ペルー人がブラジル人に対して持っているイメージ(誹謗中傷及びラベリング)
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性的なもの
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知能的なもの
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家族関係なもの
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教育的なもの
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衛生的なもの
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Liberales (開放的である)
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Bobos (馬鹿), Estupidos (愚か、間抜け)
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Irresponsables (無責任)
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No tienen cultura (教育がない)
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Sucios (汚い)
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Atrevidos, duermen con cualquiera (相手を限定しない)
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No saben sumar (計算ができない)
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Dinero antes que los hijos (子供よりお金を大事にする)
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Bulliciosos (うるさい、やかましい)
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Botan la basura en cualquier sitio (ごみはどこでも捨てる)
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Sinverguenzas (恥知らず)
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Desconfiados (不信感を抱く)
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Ignorantes (無知)
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最後に、ブラジル人はペルー人をどう見ているのか、という調査をする必要がある。こういった調査をしかけていたが、インタビューで得た証言は、ウワベだけの当たり障りのない答えだった。ペルー人に対してのよい意見しか話してはくれなかった。今後は、ブラジル人の研究者を交えて調べる必要がある。
参考書
1.Balibar, Etienne (1997) "Class Racism" in The Ethnicity Reader, ed. Montserrat Guirbernau and John Rex, Cambridge: Polity Press, pp 318-329
2.Escriva, Angeles (1997) "Control, composition and character of new migration to south-west Europe: the case of Peruvian women in Barcelona" in New Community, Vol. 23, No. 1: pp 43-57
3.Guimaraes, Antonio (2003) "Racial insult in Brazil" in Discourse and Society, Vol. 14, No. 2: pp 133-151
4.Sole, Carlota and Parella, Sonia (2003) "The labour market and racial discrimination in Spain" in Journal of Ethnic and Migration Studies, Vol. 29, No. 1: pp 121-140
5.Takenaka, Ayumi (2003) "The mechanism of ethnic retention: later-generation Japanese immigrants in Lima, Peru" in Journal of Ethnic and Migration Studies, Vol. 29, No. 3: pp 467-483
6.Weiner, James (2002) "Between a Rock and a Non place: Towards a Contemporary Anthropology of Place" in Reviews of Anthropology, Vol. 31, pp 21-27
7.Wieviorka, Michel (1997) "Racism and Xenophobia" in The Ethnicity Reader, ed. Montserrat Guirbernau and John Rex, Cambridge: Polity Press, pp 291-302
8.竹沢泰子 (1996)「白人と黒人の間でー日系人アメリカ人の自己と他者-」『移動の民族誌』岩波講座「文化人類学」第7巻 岩波書店
[1] ボリビア:4,869人、アルゼンチン:3,470人、コロンビア:2,989人、パラグアイ:1895人、チリ:678人8(財団法人入管協会、平成15年版在留外国人統計)
[2] Weiner, 2002:23に引用
[3] インタビューしたペルー人の95%は、ペルー人の友達がおり、63%はブラジル人の友達がいると答えた。また、74%は日本人の友達がいると答え、40%はこれ以外の国籍の友達がいると答えた。41歳以上のサンプルの中では、ブラジル人と日本人の友達の人数には大きな差が見られなかった。しかし、31歳から40歳のサンプルではその差が著しい。恐らく、これは仕事上での上下関係によって現れた現状であろう。
[4] この枠組みに日本人女性と他の国の女性も入る。
[5] 大学中退者が多いのは、日本で仕事をするために大学を休学し、在日期間が長くなったことで中退したからである。
[6] 5歳から19歳までの教育を受ける必要がある4万人のうち、9千人が一般の小学・中学・高校に通っている。4,800人がブラジル人学校に通い、4,617人はExame Supletivo(日本でいう大検のような試験で、小学校卒業程度と中学・高校卒業程度の2種類の試験が行われる。)に参加した人数である。現状は、2万人以上の子供たちは教育を受けていない。(Kamiunten、Miguel. Alternativa 60)
[7] 2002年に外国人未成年による犯行の65%はブラジル人によるものである。(Kamiunten、 Miguel. Alternativa 60)
[8] ポルトゥニョル語は、ペルー人とブラジル人との間でスペイン語とポルトガル語の混ざった言葉のことをいう。